2013年6月17日月曜日

「李陵・山月記」


私は、同じ本を読み返すことはあまりなく、
自宅の書架にあるものでも、五冊程度しかないと思います。
そんな貴重な(?)一冊がこちら。

「山月記」は、確か高校の国語の教科書に載っていて、ご存知の方も多い一編。
漢文体の美しさ、かっこよさに惹かれました。
書き出しのところで、もうぐっときてしまう。

(引用)------
朧西の李徴は博学才潁、天宝の末年、若くして名を虎榜に連ね、ついで江南尉に補せられたが、性、狷介、自ら恃むところ頗る厚く、賤吏に甘んずるを潔しとしなかった。
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注釈がないとわからない部分もありますが、
そのまま読んでも雰囲気は伝わってきます。
そういえば、先日、村上春樹の「シドニー!」を読んでいて思ったのですが、
注釈が同じページに載っていると、読みやすくてありがたいですね。
わざわざ最終ページに指を入れたまま、本編を読むのはちょっと面倒くさいのです。

今、私の手元にあるのは、新潮文庫の「李陵・山月記」。
ここに収められている「山月記」「名人伝」「弟子」「李陵」、
どれも一編ごとに味わい深くて、何度も読み直したいものばかりですが、
最近遅まきながら良さがわかってきたのが、「弟子」。

孔子と、弟子の子路との出会いから別れまでが、丁寧に描かれています。
こどものように純粋でまっすぐな子路を、温かく見守り時に諌め、育む孔子。
師を尊敬し愛しながらも、わからないことはわからない、と素直にぶつけ、
最後まで自分の信じる道をゆく子路。

師と弟子の愛情が、他の弟子との交流や、戦乱の時代を背景に綴られていく様は、
3時間映画のようにドラマティックでありながら、
淡々とした漢文体の中に、抑えた美しさがあり、
文庫本で言うと5mmの厚さしかないのですが、それ以上に壮大な物語として読めます。

どの話にも共通するのが、「孤独」。
学があり、鋭い感性をもつ者にとって、避けがたく、しかし堪え難い苦悶。
そして
「何のために生きるのか?」
「生のうちに何を成すのか?」
という問いかけ。

また、李徴、李陵、司馬遷にあらわれる、「臆病な自尊心と尊大な羞恥心」は、
自分自身の苦しみを、幼いころから慣れ親しんだ中国の歴史上の人物に投影して、
書くことで表現しようとした中島敦自身のものであったのではないか、と思います。

持病の喘息が元になって33歳で没。
年表も丁寧に追いながら全編を読んでいくと、
中島敦という人の姿も見えてくるようです。

ちなみに、中国の昔の刑罰についての表現がいくつもでてきますが、
どれも「ぎょえ〜」と言いたくなるような刑ばかり。
もちろん、刑罰の残酷さは、中国に限らないですが、
道義の感覚が、時代によってこうも違うのかと思うと、唖然とします。


読書会を開いて、音読しながら、
孤独や正義など普遍的な問いについて語るのもいいなぁ
と思ったりしているところです。










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