2013年6月19日水曜日

「孤独のチカラ」

自分の中の孤独とどう向き合うか、というのが今の私のテーマ。
というわけで、ズバリなテーマの本を読んでみた。
齋藤さんの文章は平易なので、その分ぐっさり刺さる。
「独りの時間をもつ」ことは、産後からずっと必要だという認識はあったけど、
なぜ必要か、とか
どんな時間をもつか、について自力では言語化できていなかった部分を、
齋藤さんがしてくれた感じ。


(引用)---------

「つまり私の提案は、一人の時間をリラックスして過ごそう、自分自身を癒そうという主張ではない。もっと自分自身に向き合うような時間、もしくは自分の量を深めていく時間を持とう。それこそ脳を真っ赤に燃え上がらせる知的行動のひとときは、誰もが持つべき孤独なのだ」

「人といるときはどうしても自分を奪われてしまう。それは別にネガティブな意味ではなく、自分を譲っているからである。だから、一人になって<自分の中心を取り戻す>ことが必要だとサートンは言う。サートンは<孤独>の中に創造の豊かな時空を見ていた。彼ら芸術家が精神的に強いのは、孤独というものの力を自分で技にできているからだ。つまり、人としての強さは、単独者になれるかどうかに尽きる。」

「森の中に行かなくても、火や水を眺め、土をこねているうちに、体の感覚がよみがえってくる。地水火風という宇宙を集約したものと自分はつながっていると想像することで、充たされていくのを感じるはずだ。これができると、孤独への適応力が増し、周りのすぐそばの人間に対して「私をわかってほしい」という過度の期待をしなくて済む。」

「もし意識の行き場がなくて苦しいときは、大いなる想像力で自分はどんなときでも自然に抱かれていると思うことだ。そのとき人は、孤独であっても豊かになれる。そのように、一人でいることを肯定できるような地水火風の夢想のイメージを何か獲得しておくと、孤独がとても尊いもののように思えてくる。」

「一人で生まれて一人で死んでいく以上、人間はどこかひとりぼっちのやるせなさを持って生きるのが当たり前だ。そう思うことで私たちは、孤独が自家中毒的に自分をネガティブに切り刻むところから抜け出すこともできるのだ。」
「レイン(※精神科医のR・D・レイン)によれば、自己と肉体に一体感を感じている<身体化された人間>は、他者や世界との関わりに現実感を持てるが、自己と肉体が断絶して、自己が<真の自己(内的自己)>と<にせ自己>とに分裂してしまうと、人は現実感や身体感覚を失い、体験を現実のものとして知覚できなくなる。このように身体化されていない、世界との間に亀裂が生じている人間は、生の実感を持つことができない。また、世界の中で<くつろぐ>こともできない。これが続くと、引き裂かれた自己と現実世界とのズレはますます広がっていく。そのように、自分自身と世界とが切り離されたような状態は、大変危険なのだ。
 逆に言えば、密接に連合した自己と身体が<外の世界>とつながっている感覚をもつことで、ひとりでいても充たされている手応えを得られる。つまり孤独に押し潰されないためには、身体との一体感を大切にし、仲よくしておくことが基本である。
 このことは意外に軽んじてはいけない。自分自身の体を快適に感じると、自分と関わる誰かがいなくても精神は心地よくいられるのだ、自分ひとりでも平気だと思えると、肝が据わる。」

(引用ここまで)--------


孤独におそわれるときには、身近なつながりにすがりたくなるけれど、
自分だけの孤独をもち、しっかりと味わったあとにこそ、
つながりの本当の意味がわかるのかもしれない。

時には、今の私のようにまとめてもつ、ということも必要かも。
とはいえ、ふだん自力でそれをするのはなかなか勇気もいるし、
そこまでの切迫感もない。
でも身体を壊して知るのも嫌だ。
となれば、やはり習慣として孤独の時間をもつことを
意識的にやらなければいけない。

自分にぴったりの方法で、見つけられたらな。


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