2013年7月9日火曜日

ソフィ・カル展「最後のとき/最初のとき」

気づけば6/30までで、あわてて行ってきました。
「最初のとき」は、初めて海を見た人たちの表情をとらえたビデオインスタレーション。
「最後のとき」は、先天性失明と中途失明の人たちに、最後に見たものについてのインタビューを基にした写真と言葉。
この日は、ドキュメンタリー映画の上映もありました。
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彼女の表現やアイディアは、一見エキセントリックなようだけど、とても魅力的です。好奇心と冷静さがある。
アート表現のためなら許されるのか?という批判もずいぶんされたんだろうと思います。
プライバシーは?道義的には?とか。
でも同時に、アートだから超えられるものがあるだろうとも思います。
それは人間の根元的な欲求や願いを満たすものだけど、あえて口にはしないか、もっていることにも気づいていない。
それを見えるような形にして、
「ほら、私はこんな風に世界を切り取ってみたの」
「どうして人は・この世界は~なんだと思う?」
と問いかける。それが表現者ではないかと。
だから既存のものと、闘う運命にあるのかも。

そのぐらい世界にコミットする。。それはエキセントリックにもなるよなぁ、、、
ドキュメンタリーの中で、ソフィが「自分の人生を作品にすることは、その過程でもちろん癒されることもあるけど、それが目的じゃない。すべてはアート表現のため」と言っていたのが、印象的でした。

撮られた対象、一人ひとりの人生について、思いをはせながら、その後ろにある私自身の物語も、断片的なイメージとして降ってきました。
おそらくこの先会うこともないだろう多くの人々。しかし、不思議なことに誰もが「私自身」でした。
海には、たぶんたくさんのイメージを取り込み、膨張させ、揺らし、ときに曝す力があるのではないか。。そんなことも考えたり。

この展示で、私はソフィからのたくさんの問いかけを受け取りました。

-なぜ私とあなた、あなたと彼ら・彼女らの間には、つながりを感じるのか?
-一緒に居るってどういうこと?
-あなたが見ているものは何?見る、見えるってどういうこと?
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こういう感想、わかち合う場や仕組みが、その場にあればいいのにね。
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