2013年6月17日月曜日

「シドニー!」


2000年開催のシドニーオリンピックとその周辺を
村上春樹が綴るエッセイ。

村上さんのエッセイはもともと好きなので、つるんと読んでしまった。
Down Underが、オーストラリアとニュージーランドを指す言葉だと、はじめて知った。
オーストラリアの歴史や、特有の動植物の話や、
オリンピックが開催国にもたらすありとあらゆる影響についても、
私の想像を超えていたり、日本と比べるとスケールが全然違っていて、
とても興味深く読んだ。

いつもヨーロッパにばかり関心を向けていたので、
自分にとってのオーストラリアって、あまりイメージがない分、
余計に面白かった。
機会があれば、ぜひ訪れてみたい場所になった。

また、オリンピックの中継としても楽しめた。
本当にテレビでは放映されないし、伝わらない、
現地だからこそのリアルがあるんだな、ということがわかった。
当たり前だけど、映像だからリアルというわけじゃない。
女子400mの迫力は、すごかった。
アスリートに、こんなに共感したこともなかったかも。


ところで、「旅エッセイ」の書架に行ってみると、
現地に住んでいる人のエッセイも含め、いろんな本があるのだけど、
残念ながら、だいたいが面白くない。

どこへいって、
なに見て、
なにを食べて、、、
ということが、延々と綴られている。
「で?」と言いたくなる感じ。
その地へ行ってみたような感覚にもならないし、
行ってみたいという気も起こらない。

そういう旅エッセイと、「シドニー!」や
「遠い太鼓」「雨天炎天」「辺境・近境」などと、
何がどう違うのだろう。

いろんなことがあると思うけど、
細部を丁寧に「見ている」か、
見えているものの後ろにあるものまで、冷静に見ようとしているか、
は大きいと思う。

作家としてのディテールの描き方もあるだろうし、
関心の領域が、やはり広い。
人も物事も広く深く捉えようとしている。
深みを自分から見ようとしている。

その一方で自分自身をできるだけ心地よい状態に置こうとする努力と、
習慣の継続への熱意を感じる。
お腹が空いたときに、ちゃんと食べるとか、
できるだけ美味しいものを食べようとする姿勢とかが、
とても好ましい。

私はお酒は飲めないけれど、
村上さんの文章を読んでいるといつもビールが飲みたくなるし、
美味しいサンドイッチが食べたくなる。

そしてなぜか「さん」づけになる。。



(引用)------

p145
「現場でそういうのを見ていて、心から実感するのだけれど、マラソンにおいてはトップ・ランナーだけが勝者ではない。人には一人一人の戦いがある。僕らはみんな、それぞれの場所で、それぞれの戦いをしているのだ。」

「ピエール・ド・クーベルタン男爵は、“オリンピックは勝つことではなく、参加することに意義がある”と言った(といわれている)。
  (中略)
僕が読んだ本によれば、彼は実際にはこう言ったそうだ。
『人生において大事なことは、勝利ではなく、競うことである。人生に必須なのは、勝つことではなく、悔いなく戦ったということだ』」

p225
「僕らにできるもっとも正しいことは、弱さが自分の中にあることを進んで認め、正面から向き合い、それをうまく自分の側に引き入れることだけだ。弱さに足をひっぱられることなく、逆に踏み台に組み立てなおして、自分をより高い場所へと持ち上げていくことだけだ。そうすることによって僕らは結果的に人間としての深みを得ることができる。小説家にとっても、アスリートにとっても、あるいはあなたにとっても、原理的には同じことだ。
 (中略)
あるときには人は勝つ。あるときには人は負ける。でもそのあとにも、人は延々と生き続けていかなくてはならないのだ。」

(引用ここまで)------

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