2013年7月26日金曜日

大人の友情

「やっていけそう」と
「もうだめだ」を繰り返す日々が続いて、

「もうだめだ」がやや強くなったころに、
そのことは何も言っていないのに、
会おうとか、話そうとか、
声をかけてくれる人があらわれる。

元気にさせてあげようとか、
話を聴いてあげようとか、押し付けがましいところもなく、
無事を確認して安心したい、という自分本位なところもなく。
そういうのは、すごくありがたい。

人が必要としていることを感じ取って、行動する。
私にはなかなかできないことをさらりとやっていて、
それもすごいと思う。

よく考えてみると、そういう人とは、たとえ一度でも
「自分が心をつかって話したし、
 相手も心をつかって話していた」
という実感がある。

心をつかって話すときには、
なにかすごく大切なものを、
交換しあっているのだと思う。

だから、いつも一緒にいなくても、
その感触が、深いところで残っていて、
つながりを感じられる。

友情というのは、会う頻度とか、年賀状のやりとりの有無とか、
SNSでつながっているとか、
何か形で示されるものではなくて、
心で感じるものかもしれない。
自分が感じていて、相手にとっても自分がとくべつな存在だと信じられる、
そういう関係性なのかも。


表面上は何も進行していないようでも、
一歩も動けないように見えても、
無駄なことばかりやっているようでも、
こうやって一日一日、
こつこつと、
私は何か人生にとって大切なものを貯金しているのだ。きっと。

そういう私を、
この世界は、広く高いところから見ていて、
ふいにあらわれる虹という形で、祝福してくれたりする。

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