2013年7月11日木曜日

「バッテリー」

ずいぶん前に話題になったけれど、その頃にはなぜか手をつけられなかった。
でも、読むのは今のタイミングでよかったなぁと思う本です。

友情物語が書かれた児童書だと思って手にとったら、全然違った!
こどもの頃の、特に小学校高学年から、中高生にかけての、
「私」がぐわっと引っぱり出されるような本でした。

どの登場人物にも、作者からの深い深い「共感(Empathy)」があって、
熱いけど温かくて。
あの頃だったら、私はどんな風に読んだんだろうか。

「共感」をテーマを据えて読んでみると、
それぞれの人が言葉の裏に本当にほしかった願いが見えてきて、
それはひとつひとつ、小さな美しい光なんだなぁ。。
と、そんなことを考えたりします。


(あとがきから引用)-----
「女の(しかもかなりの年齢の)わたしが、若い異性に感じた十代ゆえの眩さを信じたかった。ただ十代であるというその一点の他に、何の条件も無く、少年であるがゆえに発光するものを信じたかった。それを捉えた自分の完成を否定したくなかったのだ。捉えたものを表現したかった。その表現が、『十四歳の闇』を盛んに論じ、定型へと囲い込もうとするものへの、異議申し立てになりはしまいかと、臆病な自負をぶらさげていた。」

「そう、わたしは、生の身体と精神を有するたった一人の少年を生み出したかったのだ。自分自身という個に徹底的に拘る身体と精神。自分の感じたことを自らの言葉で真っ直ぐに表現することも、自分の表現や言葉を自らが引き受けて生きることも、この国では歓迎されない。むしろ忌み嫌われる。それが『子ども』と呼ばれる領域にいて、強調のみを尊び、個より集団をはるかに重視する学校体育という制度内に生きねばならない者ならなおさらだ。」

「彼は他者の押し付ける物語を拒否する。友情の物語、成長の物語、闘争の物語、あらゆる予定調和の物語を拒んで、マウンドという場所に立つ。
 他人の物語の中で人は生きられない。生きようとすれば自らを抑え込むしかないのだ。定型に合わせて、自らを切り落とさなくてはならない。自らの口を閉じ、自らの耳を塞ぐ。自らの言葉を失い、自らの思考を停滞させる。」

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まだ文庫本で2巻目ですが、一気に読んでしまおう。
さて、これから続きを借りに行こう。

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