2014年3月13日木曜日

植田正治のつくりかた



少し前に、東京ステーションギャラリーで
「植田正治のつくりかた」を観てきました。

その時のメモ書きをもとに、
感じたことを書こうと思いましたが、
どれが引用なのか、どれが自分の感覚なのか、
もはやわからなくなってきました。。

でも、せっかくメモをとったので、
とりあえず書いていたことをダラダラと並べてみました。

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植田の写真展を観るのはこれで2回目。
大学生の頃に、鳥取出身の同級生がいて、
彼女から教えてもらった。

写真することがとても楽しい
写真こそ生きている証
撮りたいものしか撮らない、撮れない

ただ印画紙上に
レンズを通して「描く」ことに執念
写真に対する精神的燃焼度は、
昔とちっとも変わっていない。

誰でもカメラを求めてまず最初に選ぶのは
ポートレートではないか。
植田にとっても記念写真的なのは、
正面を向いたポーズした写真だった。

ブレッソンや木村伊兵衛のように
「あっ」と思ったらもう撮っているのとは少し違う
彼独特の間を感じる

彼にしかないユーモア
被写体との間の距離感
フレーミングに対してのこだわり

絵のモデルのようにポーズを撮った被写体を
シャープでモダンな構成で撮る。

演出をほどこすことが多いが、
「田園人の素朴さをあらわすのに、
直立不動のポーズ、更には生真面目な無表情がよい」
とも言っている。


風景でも人でも静物画のように
線の行き交わせ、
行き交いを遊ぶ。
直線や曲線の出会いを遊んでいる。

そんなふうに、植田の写真には対比の面白さがある。
人と人
人と動物
人とモノ
近景と遠景
黒と白
老人と若者
親と子
前向きと後ろ向き
着衣と裸体
日本と外国

フレーミングのために、
「フレーミングの四角を紙に描いては、
その中に人物を置き、右へ寄せたり、左へ寄せたりした」と述べている。

人物は計算づくで砂丘に置かれた、風景の一部なのだ。

植田の写真は、モノクロームが美しいのだが、
そのコントラストの分だけ、
実物の色が美しいことは想像に難くない。

この展覧会で初めて植田のカラー写真を目にした。
20代ごろ、奥さんと思われる美しい女性と
自転車の二人乗りをしているところ。

黄色というよりも濃いオレンジ色の砂、
コバルトブルーの空、
ウルトラマリンの海。
「地球を離れた別の世界」のよう。

この美しさをカラーで写さないことは、
相当な葛藤があったと思われるのだが、
実際のところどうだったのだろう。

1972年の初めての海外旅行で西欧を撮った写真に、
新たな興奮が追加されているように感じた。
海外どころか、ほとんど山陰地方を出ることがなかった植田。

1974年の「模倣の美学」という文の中で、
「過去の偉大な作品に影響を受け、発展していくもの。
模倣は恥ずかしい響きを持っているように思われるが、
模倣でも亜流でも、
栄養になるものなら
いささかのためらいものなく
貪欲に吸収する」
というようなことを述べている。

1990-2000年の晩年まで静物にこだわりを見せる。
この時期の作品を観るのは初めて。
植田正治のイメージを覆すような作品群。
花弁のクローズアップ写真は、
ジョージア・オキーフか、
ロバート・メイプルソープを彷彿とさせる。

真昼の夢。
どの写真の中にも、
こどものわたしがいるようである。
こどものわたしが集めた美しい風景のかけらや、
わたしの中にある美しさへの希求が形になったようである。
ゆえに、植田の写真を観ることは、
わたしの小さな幸せのひとつである。

そしてほどよい静けさが心地良いステーションギャラリーから一歩出ると、
そこは、いつものセントラルステーション・東京駅の喧噪...

そうか、思いだした。
あれは、年末。
帰省ラッシュの真っただ中だったのだ。

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